死の直前の排泄

10年前の教え。

長いあいだ校長先生だった祖父は、

年度が切り替わる、その日の朝に

背の高い体をのこして

本当に眠るように逝ってしまってから

10年。

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明日から、現場サポート中の法人さん

新入職職員さんへ向けての

入職時研修が始まります。

さくら。

若い身体とほとんど健康な精神をもつであろう

新卒の皆さんへ、

何が伝えられるのか。

結局自分のフィルターを通した世界と言葉でしか

伝えられないのですが、

お祖父ちゃんのチカラを借りてニコニコ

いま生きている、今から数十年後。

どうやって、老いていくのか、

どうやって、死んでいくのか。

一人称から、三人称へ

転換が出来るように

まず自らの体験と思えたら、

少しは伝わるのだろうか・・・

と思いながら 資料作成中ですパソコンまーくん

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生きている証

どうやったって、今の人間の身体だと、

生命活動があるあいだは、

食べて出すことを

止めることは出来ないのだと思います。

そんな当たり前のこと。

排泄が生きている証

だなんて、

介護の真っ最中に言われても、

「あぁ、当たり前だよねえー」と

その言葉は宙にあるだけでした。

人はどこまでも、

経験したことしか分からないんですよね。

徐々に、飲み込むことも難しく、

水分もとれなくなっていく。

ほとんど側にいたから

お腹は減っていないんだな、と、

なんとなく感覚で分かってはいたけれど、

点滴もせずに、本当にそのまま

「生きている」身体がそこにある。

なのに、

結果的に「何も食べさせない」

ことになっている現実への苦しさはあって。

それでも、

お腹が空いている訳ではない。

そんな表情、仕草、呼吸からそう測っていた

自分の感覚だけ、信じていました。

最期のプレゼント。

あんなに毎日、

どうしようかと思うほどの労力だった

トイレ・おむつ交換のケア

徐々に、おじいちゃんからはトイレにいきたいと言う

意思の表示もなくなって、

おむつが濡れることも少なくなっていきました。

皮肉だなと思います。

訴えがないので夜は眠れるようになり、

介護の手も、

何か訴えた時にすぐに気付けるように

張り詰めていたアンテナも、

徐々に解除できていった、そんな頃。

亡くなるちょうど3日前、私の誕生日でした。

甘い物が大好きだった祖父

雰囲気だけでも・・・と、

ケーキを目の前に持ち、

ほとんど開かない目に対して、

悪あがきのスケッチブック。

そこに「私の誕生日なの」と書いて、

おじいちゃんを呼ぶと、

ほんのすこし目を開けて

「おめでとう」

そう言ってくれたその言葉は、

今でも宝物のまんまです。

死の数日から数時間前の兆候として

元気が出てくることがときにあります。

見当ちがいがみられた人でも、
はっきりと、てきぱきして話をするようになることがあります。

何日も食事をとらなかった人が、

好きなものを欲しがったり、
実際に食べたりするかもしれません。

※在宅緩和ケアDr.ブログより

そんな、奇跡のタイミングだったのかな。

大変さからの解放

最期におじいちゃんは、

介護に掛かる手間を減らして、

ちょっとでも自分が「介護疲れ」から回復した時間を作ってくれたから

そんな時間が持てたんです。

ターミナルケア

それこそ介護といえば、切っても切れない話です。

どこでどんな風に死ぬか、

自分は経験したことのない、

老いと死にどう向かっていくか。

無力で寄り添うしかできなくとも、

ともに悩むことを諦めないケア職でいたいですよね。

そこの側にいる者として、

いつか終わる、この介護に。

最後かもしれない、おむつ交換に、

どうやって関わるか。

改めて、原点にもどりたいと思います。

しっかり出して

すっきり生きる

お手伝いを

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